Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

神は怒るのに遅い

聖書箇所:ナホム1章3節
なぜ、神は怒るのに遅く、しかし、決して罰せずにはおかない方なのでしょう?

1.主は怒るのに遅い

主は...約束したことを遅らせているのではなく...忍耐しておられ...すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。Ⅱペテ3:9

預言書には神の裁きの恐ろしさが記されていますが、神は決して私たちを滅ぼしたいと願っておられるわけではありません。むしろ、悔い改めてご自身に立ち返って欲しいと願っておられます。だからこそ、厳しく語られるのです。事実、ヨナの預言を聞いてニネベの民が悔い改めたとき、神はご自身のことばを撤回されても赦しを与えられたのです。

2.罰せずにはおかない

主は義によって世界をさばき公正をもってもろもろの国民をさばかれる。詩篇 9篇 8節

「主は、あわれみ深く、情け深い神」(出34:6)ですが、同時に正義の神であり、どんな小さな悪でも決して許されることのないお方です。ですから、死後、私たちが神の裁きの前に立ち、神の規準によって裁かれる時、自分は罪人ではないと言うことのできる人はひとりもいないでしょう。私たちはみな罪の贖い、罪の赦しを必要としているのです。

3.苦難の日の砦

主はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。ナホム書 1章 7節

キリストの十字架は神の正義と神の慈愛の完全なる現れです。神は人となって地上に降り立ち、すべての人間が受けるべき罰をその身に負われたのです。そのことを信じる人は、罪の赦しを得、神の子どもとされるのです。そして、イエス様ご自身が私たちの羊飼いとして、天国への道へと導いてくださるのです。

(2023年10月8日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)