Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

苦悩の中のみことば

聖書箇所:ハバクク書2章1節

苦悩の中でこそ、私たちはみことばに目を向け、耳を傾けなければなりません

1.苦難にある意味と目的

主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。哀歌3:33

「なぜ、あなたは...苦悩を眺めておられるのですか」(ハバ1:3)とあるように、私たちもまた神様がおられるならば、なぜ?という疑念にさいなまされることがあります。しかし、聖書に登場する神様に愛されていた人物たちもまた、様々な苦悩を体験しました。この地上において様々な苦悩があったとしても、それが神様が私たちとともにおられないことや、私たちを愛されていないということではありません。

2.御言葉こそ脱出の道

私は、自分の物見のやぐらに立ち...主が私に何を語られるか、私がそれにどう応じるべきかを見よう。ハバクク2:1

「みおしえが私の喜びでなかったら...苦しみの中で滅んだことでしょう」(詩119:92)とあるように、私たちもまたみことばに目を留めなかったら、苦悩に押しつぶされるかもしれません。神様は試練とともに脱出の道も備えてくださる方ですが(Ⅰコリ10:13)その脱出の道はみことばの戸が開いた先にあることを忘れてはなりません。

3.神の真実を信じる信仰

正しい人はその信仰によって生きる。ハバクク2:4

新改訳聖書の脚注では「信仰」の別訳として「真実」とあります。アブラハムは主を信じ、それが彼の義と認められましたが(創15:6)具体的には、彼は神は真実なお方で、約束のことばを必ず成就されることを信じたのです。だからこそ、彼はイサクを捧げよとの命令に従うことができました。神を信じるとは、苦悩の中でも、神は私たちに対する将来と希望の約束は必ず実現されることを信じることでもあるのです。

 

(2023年11月12日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)