Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

イザヤ書53章

聖書箇所:イザヤ53章

イエス様の人生と死の目的はその誕生の約700年以上前に預言されていました。

1.キリストの人生

彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ...イザヤ53:2〜3

今、イエス様は私たちにとっては礼拝の対象であり、ノンクリスチャンであっても、イエス様に対して崇敬の念を抱いている人は少なくありません。しかし、地上でその人生を送られていたイエス様は決してそのような存在ではありませんでした。神はあえて、弱く小さき者として、無に等しい者として、この世に自らを示されたのです。

2.キリストの最後

彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。イザヤ53:9

「彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに」。これは一体どういう意味だろう?多くの学者が戸惑いつつも、それぞれの解釈を生み出しました。しかし、この言葉の意味はイエス様が強盗と一緒に十字架につけられ(悪者どもとともに)そして、裕福な信者の墓に葬られる(富む者とともに)ことによって、明らかにされました。

3.キリストの目的

彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれ...彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし...イザヤ53:5

イザヤ書53章はキリストの死の霊的な意味を明示しています。ユダヤ人の指導者たちは妬みに駆られて、イエス様を十字架へと追いやりました。その背後にはサタンの力がありました。彼らはイエス様の死が全人類の贖いのためであるとは夢にも思いませんでした。しかし、その十字架は全人類の贖いとサタンに対する勝利だったのです。

(2023年12月17日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)