聖書箇所:マルコの福音書1章35節~38節
神であるイエス様が祈られたという事実に何を学ぶことができるでしょうか
1.キリストの受肉
さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。マルコの福音書 1章 35節
イエス様が祈られたという事実はよく考えると実に不思議なことです。聖書によるとイエス様は万物の創造主なる神です。神は祈られる存在です。ご自分が祈る必要はありません。しかし、神であるイエス様は祈られた。この事実は、まことの神である方が、完全な人間としてこの地上に来られ(受肉)完全な人間として歩まれたことを示します。
2.キリストの謙遜
キリストは、肉体をもって生きている間...大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ...敬虔のゆえに聞き入れられました。ヘブル人への手紙 5章 7節
神ご自身であるイエス様は完全な人間として、この地上において一人の聖徒として、敬虔な歩みをされましたが、その敬虔な信仰は「祈り」によるものでした。自分は敬虔な信者であると思っていても、もし、その人の信仰生活に「祈り」が欠如しているならば、その人のうちに本物の敬虔な信仰が養われることはないでしょう。
3.キリストの模範
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。ヨハネの福音書13章15節
イエス様はバプテスマのヨハネから洗礼を受ける際「正しいことをすべて実現することが、わたしたちにふさわしい」(マタ13:15)と言われ、実際、すべてのことにおいて、弟子たちの模範となられました。特に「祈り」において、イエス様以外に最高の模範はありません。私たちはイエス様のように祈る者となる時、イエス様のようになれるのです。
(2024年3月17日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)