Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

復活がなければ

マタイの福音書28章1~20節

イエス様の復活の意味と目的について考えていきましょう

1.事実としての復活

御使いは女たちに言った...十字架につけられたイエス...ここにはおられません...よみがえられたのです。マタイ28:5〜6

ここ日本でも、イエス様が十字架で処刑されたことを歴史上の事実であることを否定する人はほとんどいないでしょう。同様に、イエス様が処刑されて後、三日目に復活されたことを事実として認める人は、ほとんどいないでしょう。しかし、イエス様の復活は事実であるし、特にクリスチャンにとっては事実でなければならないのです。

2.核心としての復活

キリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。Ⅰコリント15:17

創造主なる神は、十字架で処刑されたナザレのイエスこそキリスト(救い主)であることを示すために、死からよみがえらされたのです。そして、イエス様がキリストであるからこそ、イエス様の十字架での死に「人類の贖い」という霊的な意味を見出すことができるのです。もし、イエス様がただの人間なら、十字架での死に意味はありません。

3.希望としての復活

神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちも、よみがえらせてくださいます。Ⅰコリント6:14

イエス様の十字架と復活は、私たちクリスチャンに自らの復活の希望を与えるものです。そして「イエスを死者の中からよみがえらせた御霊が、あなたがたのうちに住んでおられ...あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます」(ロマ8:11)とあるように、聖霊こそ復活の力なのです。だからこそ、御霊(聖霊)は保証(Ⅱコリ5:5)なのです。

(2024年3月31日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)