Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

わたしは望む

聖書箇所:マルコの福音書1章40-45節

イエス様こそが私たちに「きよめ」を宣言することのできる祭司なのです

1.ツァラアトとは?

祭司が調べて、かさぶたが皮膚に広がっているなら、祭司は彼を汚れていると宣言する。それはツァラアトである。レビ13:8

「ツァラアト」(ヘブライ語)は新改訳聖書第二版まで「らい病」と訳されていました。それが第三版から改訳された理由には「らい病」が差別用語として認識されるようになってきたこと、また、そもそも聖書の「ツァラアト」と、世間一般でいうところの「らい病」(ハンセン病)が異なることなどがあげられます。

2.ツァラアトに冒された者

ツァラアトに冒された者は自分の衣服を引き裂き、髪の毛を乱し、口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ぶ。レビ13:45

祭司によって「ツァラアト」であることを宣言された人は、自らを「汚れている」と叫ばなければならず、さらには、イスラエル共同体から遠く離れて暮らさなければなりませんでした。このことは、罪に汚れていた私たちが「神の選びの民」から除外され、神もなく望みもなく、永遠の滅びへと向かっていた状況と重ね合わせることができます。

3.ツァラアトからのきよめ

きよめを宣言する祭司は、これらのものとともに、きよめられる者を主の前、会見の天幕の入り口に立たせる。レビ14:11

「ツァラアト」からきよめられるためには、その症状がなくなるだけでは十分ではなく、祭司によって「きよめ」を宣言される必要がありました。聖書は、ナザレのイエスこそ、罪と汚れの中にある人類を救い出し、きよめを宣言することのできる唯一の存在であると示します。そして、イエス様は私たちをきよめることを心から望んでおられるのです。

(2024年4月7日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)