足が不自由な、あるふたりの男性それぞれの「癒し」に対する姿勢に考えさせられたことがあります。
ひとりはクリスチャン。自分が癒されることが神の御心。癒されないことが神の御心であるはずがないと頑なに信じておられました。
もうひとりはノンクリスチャン。障害年金をもらえなくなったら生活に困るからと、癒しの祈りを頑なに拒まれました。
ふたりの態度は全く異なるように見えますが、どちらにも共通していることがあります。それは神の御心よりも自分の思いが優先されていることです。
癒されることが御心の場合もあり、また、癒されないことが御心の場合もあるのです。
「しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように」(ルカ22・42)