Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

喜びが満ちあふれるため

喜びに満ちあふれたクリスチャン生活を送るために、聖書が教える「交わり」についての理解を深めましょう。

1.愛としての交わり

神は愛です。(Ⅰヨハネ4:16)

神が人間を創造された時、ご自身を「われわれ」と言われたことに、神が複数の人格(位格)を持つ方であることを推測できます。実は「神は愛です」という言葉にも同様のことが言えるのです。なぜなら「愛」はその対象がなければ、すなわち複数の人格がなければ、成立しえないからです。ですから、神が唯一であり、かつ永遠に愛であるならば、神は永遠に唯一かつ複数(の人格)でなければなりません。

2.救いとしての交わり

交わりとは、御父また御子イエス...との交わりです。(Ⅰヨハネ1:3)

キリスト教の救いは「神との交わりの回復」です。具体的には「イエス・キリストと結び合わされることによって三位一体なる神の交わりの中に再び加えられること」です。ですから、救いの中に留まるとは「神の愛の交わり」に留まることとなります。他宗教も癒しや平安という意味での救いは提供できるかもしれません。しかし「唯一なる創造主との交わりの回復」という意味での救いはキリスト教にしかありません。

3.喜びとしての交わり

これらのことを書き送るのは...喜びが満ちあふれるため(Ⅰヨハネ1:4)

ペテロはその手紙の中で「信仰の結果であるたましいの救い」(Ⅰペテロ1:9)を得た者は「ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに踊っています」(Ⅰペテロ1:8)と記していますが、その喜びは「神との愛の交わり」から来るものです。ですから「救いの喜び」に満たされたいと願うなら、神との交わりを持つことです。また、さらに喜びに満たされたいと願うなら、さらに深く親密な神との交わりを持つことです。

(2022年10月2日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)