「救い」の全ての側面においてそうなのですが、特に「聖化」においては私たちの人間の側のなすべきことが大切になります。
1.決意する
私は、あなたのおきてを行うことに、心を傾けます(詩篇119:112)
「聖潔」に至る道は決して楽な道ではありません。むしろ、「むなしく心をきよめ、手を洗って、きよくした」(詩73:13)結果「一日中打たれどおしで、朝ごとに責められ」(詩73:14)るような思いになることもしばしばです。しかし、「聖潔」に至る過程での「苦しみ」は信仰を練り清める上で有益であり、私たちを「悟り」へと導く助けとなります。
2.みことばを豊かに住まわせる
罪を犯さないため・・・みことばを心にたくわえました。(詩篇119:11)
イエス様は「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよい」(ヨハネ15:3)と語られましたが、その「きよさ」に留まり続けるためにも「キリストのことばを・・・豊かに住まわせ」(コロ3:16)ることが必要です。みことばが「身近に、口に、心に」(申30:14)あることは、みことばに生きる聖別された歩みに必要不可欠なことなのです。
3.祈る
むなしいものを見ないように私の目をそらせ・・・(詩篇119:37)
私たちの心にたくわえられた「みことば」を生かすお方は聖霊様です。
そして、聖霊様は私たちの切なる「祈り」をとおして働かれます。聖書を読むだけでは、十分ではありません。御言葉を暗唱するだけでも十分ではありません。そこに神の霊が注がれ、みことばが、生きて働く神の力となって、私たちのうちにある罪汚れを一掃することを求めるのです。
説教者 高森恒喜牧師
(2018年2月4日の「礼拝説教」の要約)