あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物として捧げなさい(ロマ12:1)
1.神は真の礼拝者を求めておられる
真の礼拝者たち・・・父はこのような人々を礼拝者として(ヨハネ4:23)
まず、私たちがしっかりと心に留めなければならない真理があります。それは創造主なる神は礼拝者を求めておられるということ。そして、私たち人間は礼拝者として造られているということです。
私たちは神の神殿です。神殿でなされるべきことは礼拝であり、礼拝の本質は犠牲です。賛美の生贄、感謝の生贄を絶やすことのないようにしましょう。
2.聖い供え物として
神のみこころは、あなたがたが聖くなることです(Ⅰテサ4:3)
私たち人間は「神の神殿」であるだけでなく、そこで捧げられる「犠牲」そのものでもあります。
神の前に捧げられる犠牲は聖くなければなりません。人間における聖さとは「不品行を避け・・・情欲におぼれず」(Ⅰテサ4:3~5)とあるように「性的な罪」とも深く関わっています。
「若い時の情欲を避け・・・義と信仰と平和を追い求め(Ⅱテモテ2:22) 」ましょう。
3.生きた供え物として
亜麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである(黙示録19:8)
私たちは「聖い」供え物であるだけでなく「生きた」供え物であることが求められています。
生きた信仰には行ないが伴います。つまり「聖徒」の歩みには必ず「正しい行ない」が伴うのです。
それこそが「白い衣」を身にまとうことであり、人々の間にキリストの香りをかぐわすことであり、生きた供え物として自らを神に捧げることなのです。
説教者 高森恒喜牧師
(2018年7月29日礼拝説教の要約)