Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

平安と確信

聖書箇所:ヨハネの手紙第一3章19節~24節
どうすれば、私たちは神の平安を得ることができると聖書は教えているのでしょう?

1.神の平安

そうすることによって、私たちは自分が真理に属していることを知り、神の御前に心安らかでいられます。Ⅰヨハネ3:19

「そうすることによって」とは前節18節の「行いと真実をもって愛することによって」です。つまり、神の愛を実践するときに、私たちは自らが神の真理に属していることを実感し、心に平安を得るというのです。これこそ、神が私たちに与えたいと願っておられる平安であり、人生の海の嵐の中にあっても変わらない平安につながるのです。

2.信仰の確信

わたしを遣わした方は、わたしとともにおられます...わたしは、その方が喜ばれることをいつも行うからです。ヨハネ8:29 

神がいつも自分とともにおられ、決して見捨てられることはない、という確固たるイエス様の信仰は「自分は神が喜ばれることをいつも行っている」という自負にありました。私たちは行いによって救われるわけではありませんが、神の愛の実践は、私たちの信仰に確信を与えることにつながることを忘れてはいけません。

3.実りある祈り

求めるものを何でも神からいただくことができます...神に喜ばれることを行っているからです。Ⅰヨハネ3:22

愛の実践に伴う平安と信仰の確信は、私たちの実り豊かな祈りに直結します。イエス様は「あなた(父なる神)はいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っておりました」(ヨハ11:42)と言われましたが、その確信もまた「神に喜ばれることを行なっている」というイエス様の自負に基づいていたのです。

(2023年5月7日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)