Nichinan Chapel

飫肥杉香る礼拝堂 日南チャペル

時が満ちた

聖書箇所:マルコの福音書1章14節‐15節

「神の時」に備えるためにも「神の時」について知ることが大切です

1.時が満ちた

時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて... マルコ 1:15

「時が満ちる」という表現に「神の時」の性質を見ることができます。現代に生きる私たちは「時」というと「何年何月何日何時何分」という特定の「時」をイメージしますが、神の時はそうではありません。それは花が咲く時、赤子が生まれる時のようです。ある条件が揃ってはじめてその時が来るのです。たとえば神はアブラハムに彼の四代目の子孫がカナンの地に帰るのは「アモリ人の咎が満ちた時」と言われました。

2.神の国が近づいた

あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました...あなたが下さったすべての人に...永遠のいのちを与えるためです。ヨハネ17:2

「神の国が近づいた」とイエス様は言われました。何をもってイエス様はそのようなことを言われたのでしょう。「神の国」が「神の支配」であることを考えるなら、その支配権を持つイエス様が地上に来られたことによって、神の国が地上に侵出して来た。そのようなイメージで「神の国」が近づいたという言葉を捉えることもできます。

3.悔い改めなさい

この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。ローマ12:2

詳訳聖書では「悔い改めなさい」という部分が「自分の内面、古い考え方を改め、自分の罪を悔い改め、悔い改めを証明するような生き方をし、自分の人生に対する神の目的を求めなさい」となっています。特に「自分の人生に対する神の目的を求める」という点において、今、どうであるか、自らの信仰を吟味しましょう。

(2023年11月5日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)