聖書箇所:マルコの福音書1章29節‐30節
イエス様は私たちの手を取って癒やされるお方であることを覚えましょう
1.神の時
シモンの姑が熱を出して横になっていた...マルコ1:30
イエス様と弟子たちがカペナウムのペテロの家に行かれたとき、ペテロの姑は高熱で床に臥せっていました。それは姑にとって最悪の時でしたが、イエス様の来訪によって、それは最善の時となりました。なぜなら、姑はそのことをとおして、神の力を体験することになったからです。また、この出来事は、その後、ペテロの家を拠点として宣教活動をする上でも、有利に働いたことでしょう。
2.神の方法
イエスはそばに近寄り、手を取って起こされた。マルコ1:31
いつ癒やしが起こったのか?マタイの福音書では「手に触れた時」(マタ8:15)また、ルカの福音書では「熱を叱りつけた時」(ルカ4:39)ですが、マルコの福音書では「手を取って起こされた時」となっています。それぞれに著者の意図があるのでしょう。私はここに「起きよ。輝け。」(イザヤ60:1)との言葉を想起します。イエス様は私たちが世の光として輝くために立ち上がらせてくださる方だからです。
3.神の目的
彼女は彼らをもてなした。マルコ1:31
「もてなした」は脚注では「仕えた」と記されています。私たちは自分の欲ではなく、神のみこころに生きるために創造されました。神のみこころは私たちが互いに愛し合うことであり、それは、私たちが具体的に与えられた賜物を用いて、互いに仕え合うことによって全うされます。このようにして、私たちが本来のあり方に立ち返るときにこそ、私たちは真に実り豊かな人生を送ることができるようになるのです。
(2024年1月28日の礼拝説教要約 説教者:高森恒喜牧師)